阪神ファンとして生きるということ

9月某日、阪神ファンとして生きることについて書こうと思います。

生まれは東京・足立区なのにも関わらず、なぜ阪神タイガースファンなのかと言うと、祖父母の代に遡ることになります。元々我が家のルーツは和歌山県であり、和歌山出身の祖父母はセリーグならば阪神、パリーグなら南海を応援していました。

その後富山県へと移った祖父母は三男一女を設け、その子どもたち(つまり母とおじ達)ももちろん阪神を応援しだした、と。

で、母の代で東京にやってきて、僕が生まれたということになります。幼少の頃はあまりテレビ見なかったので覚えていません。記憶にあるのは掛布から。小学2年の時に前代未聞の日本一なんかになってしまったもんだから、強くてカッコいいと思い込んでしまったんでしょうねぇ。

親戚(つまり、前述のおじ)の家へ遊びに行けば、阪神の試合なら必ずテレビでみんなで見ていたし、東京にいながら阪神ファンというのはあまりマイノリティな雰囲気が無かったのです(少なくても家族や親戚みんなファンだから)。

日本一になった年を別にして、その頃は西武全盛期だったから、同級生は巨人ファンじゃなければ西武ファンってのが多かったような…。

その後阪神は泣かず飛ばずの体たらくでしたが、それでもたまに良い時なんてのがありまして。自分で学校帰りに神宮行けるような年頃に新庄、亀山なんてのが出てきて、結局は負けるんだけれど、その敗けの中に楽しみを見出だしたりして、なかなか楽しかったのです。

野村監督になって、4年間は毎年毎年開幕直後は、こりゃ優勝するかもなんて思わせてくれたのに、梅雨が明ける時期には定位置に落ち着いているという逆の意味でのツンデレぶりが、いま思うと一番楽しかったような気もします。

星野監督以降、中途半端に強くなってしまった阪神。その間二度ほどリーグ優勝しましたが、嬉しかった反面何だかセンチメンタルな気分にもなりました。

赤星が台頭してきた頃から平日でも常にスタンドは一杯、ピンクのユニフォームなんかもこの頃から出てきて、最初は「ん?」と思ったり。

少し前の神宮やハマスタは平日なんてガラガラのスタンドで酔い潰れたオッサンなんかが関西弁でベンチにヤジとか飛ばしている声だけが空しくこだまする雰囲気だったのに。

そうか、そりゃ勝って欲しいに決まってますが、基本ダメなタイガースが好きという面倒臭い感じなのか。

よし、これからもよろしくね。

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