5月某日、幼なじみの親友から新築祝いに掛け時計をいただきました。別名「バス時計」。船の中での揺れとか錆びに耐えられるように作られたもの。
真っ白な漆喰の壁にアクセントができました。僕ら家族とこの家と一緒に時を刻んでくれるでしょう。ありがとう、大切に使います。
5月某日の今、原発の事故に対して責任の所在を明らかにしよう(なすりつけ合い)というニュースが賑やかしい。これまででさえ発表が二転三転してきたことからも、未曾有の災害だったこともあり、後から色々なことが分かってくるのはある意味仕方のない部分もあるとは思っていた。
ちなみに「未曾有」の発音は「ミゾウ」じゃなくて「ミゾー」だろう。元首相が「ミゾウユウ」なんて言っちゃったもんだから、以来おかしな感じになっているような。
で、ここ最近問題になっていること。
結果として炉心融解してしまったらしい原発、なぜこんな事態になってしまったのかを検証しなければならない。でも、検証しているのが公平中立な第三者機関じゃないっぽいから、みんなが誰かのせいにしようとしている節がある。少なくても見ている方からは、そう感じる。
震災の翌日(3/12)、電源喪失から冷却することができなくなっている原発において、燃料棒が高熱によって溶けてしまうのを防ぐため海水を注入したらしいのだが、なぜか小1時間注入を止めていたという情報が発端。
5月23日に政府と東電が公表した「海水注入に関する事実関係」とかいう文書などによると経緯は以下。
15:36 【現場】1号機で水素爆発。ちなみに枝野官房長官は、「水素を含んだ蒸気が原子炉格納容器内から漏れ出し、建屋内に充満して発生した水素爆発なので、原子炉格納容器の損傷はない」という見解を発表。
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19:04 【現場】真水がもう用意できないから、次の手段として海水注入開始。とにかく冷やさないと。
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時間不明 【東電本店】「首相の判断がないなか、海水注入実施はできない雰囲気というか空気だ」と報告あり。
【官邸】「海水入れると炉がもう使えなくなっちゃうかも知れないし、原子力安全委員長は再臨界の危険性があるって言うし(後日、本人は言うわけないと反論し責任回避を図る)どうしたらいいか分からない」(と首相が言ったか言っていないかは定かではない)。
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19:25 【現場】首相の判断待たなきゃやばいやばいと注入ストップ。
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19:40 【官邸】保安院にも相談したけれど、一刻も早い注水が必要だし、もはや海水で冷やすしかないね。
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20:05 【経産相】>【東電】海水注入すべし(命令)。
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20:20 【現場】注入再開。
この流れが露呈して、1刻も早く冷やさなければならない状態だったのに、なんで海水注入を一旦止めたのか、止めなければもっと被害は食い止められたのではないか、と国会紛糾。そりゃそうだ。
判断に時間がかかった理由として、原子力安全委員長が再臨界の危険性を言及したと官邸は言い、それに対して委員長は「『再臨界の可能性はゼロではない』と言った。ということは『事実上ゼロ』ということ、だいたいそういう時、口癖として『可能性はゼロではない』と言う」なんていう無茶苦茶なコメントまで出してくるから、こりゃ収拾不可能かと思っていた。たぶんそれぞれが「言った言わない」で責任転嫁してウヤムヤにするってね。
ところがどっこい、昨日(5/26)一時中断したと説明してきた海水注入を、実際には中断せずに継続していたと発表。
いわく、現場のトップである所長が、「注入中断」という本店の意向を守らず、自らの判断で海水注入を続けた、と。しかも本店には報告せず、東電も所長に直接これまで確認していなかったため、知りませんでした。そして騒ぎになっているから今になって聞き取りしたらホントは中断なんかしていなかったんです、すみません、ということだったらしい。
仮にこれが事実だとしたら、これだけ新聞や国会で問題になっているんだから、さっさと話せ所長!という感じでもあり、そもそも有事の際とはいえ、後からでも所長>東電>官邸と報告があって然りで、それがなぜ今まで何も出てこなかったのかがとても不思議。
しかーし、ここからは個人的な感想だけれど、たぶん嘘だなこりゃ。理由はともあれ、結果として注入を一旦止めてしまったことにより、事態が悪化したかも知れない。そして責任の所在が問題になってしまったのだが、誰も背負いこみたくない。で、解決するために着地点を模索した結果、「全て無かったことにしよう。そもそも中断は無かったということでお願いしますね」という裏技に辿りついたのだろう、というニオイがぷんぷんするぜ。まぁ、注水を中止していないってのが真実だったとしても、そもそも原子力機関の査察が入る直前になっていろいろ修正して公表するのがおかしいだろ。
訂正が繰り返される政府と東電の混乱ぶりが、原発事故の収束に関して信頼を失いかねない、なんて報道されているけれど、もはや信用なんかしてない。それでも全力を尽くして収束にあたるべしというのだけは真理であり、こればかりは揺るぎない。